文化財の紹介(史跡)

更新日:2021年04月27日

雨の宮古墳群(国指定)

雨の宮古墳群は邑知地溝帯に臨む眉上山頂上の「雷が峰」を中心とする尾根筋に築かれた古墳時代前期(4世紀代)の古墳群であり、葺石でおおわれた前方後方墳(1号墳)と前方後円墳(2号墳)を中心に、方墳、円墳など、全部で36基の古墳が点在している。発掘調査により1号墳の埋葬施設からは銅鏡や方形板皮綴短甲、碧玉製腕飾類など豊富な副葬品が出土しており重要文化財に指定されている。

  史跡は「ふるさと歴史の広場公園」として整備・復元されており、古墳の隣接地に建てられたガイダンス施設では、1号墳の埋葬施設の実物大模型などを見ることができる。

雨の宮1号墳・2号墳

ガイダンス施設雨の宮能登王墓の館

石動山(国指定)

石動山は、能登半島の基部、石川県と富山県の県境近くにある標高564メートルの山で、古来山岳信仰の霊場であった。神仏習合思想が盛行する中世には、伊須流岐比古神社の社殿のほか、堂塔伽藍が建ち並び、「いするぎ法師」と呼ばれた衆徒の修行の場として発展したが、衆徒が武力的勢力でもあったことや石動山が軍事的要衝に当たったこともあって、南北朝時代以降数度の兵乱に遭い、一山焦土と化した時もあった。しかし、戦国時代末期に、前田氏により復興が図られ、全山を「石動山天平寺」と号して、元禄10年(1697)の石動山絵図に見られるような規模雄大な堂塔伽藍・僧坊が整備され、以後江戸時代を通じて、前田氏の庇護の下で慇賑をきわめたが、明治元年(1868)の神仏分離令を契機に衰退に向かった。
現在石動山には、元禄年間の棟礼を持つ伊須流岐比古神社の建物が遺存し、また、二宮道、長坂道など8つの旧参道には、各々「御下馬所」といわれる庚申塚が残っていて、これらが石動山天平寺の結界を示すものと考えられる。
石動山は、古代から近世にかけての特異な祭祀遺跡として貴重なものであり、前記の境内地を中心に、二宮口の道標所在地等を含め史跡に指定する。

伊須流岐比古神社

大宮坊

東林林跡

心王院跡

五重塔跡

宝池院跡

鍋山古墳(町指定)

鍋山古墳

鍋塚、兜塚、鍋山といわれ、古来から広く知られた古墳である。全長64mの埴輪をめぐらす帆立貝形古墳。副葬品として銅鏡、玉類、鉄器、直刀、剣などがある。5世紀前半に築造された古墳で能登地域では初期の円筒埴輪が出土している。

この記事に関するお問い合わせ先

生涯学習課 文化財保護係

〒929-1715
石川県鹿島郡中能登町一青こ部19番地1
(ふるさと創修館内)
電話:0767-74-2735 ファックス:0767-74-2736

生涯学習課へのお問合せ